デンジャラスクイーン 鬼嫁 北斗晶とは

私は女子プロレスが好きなのですが、あまりにも語ることが多すぎるので、まずは選手に焦点をあててブログで記載していきます。
なぜそんなブログを書くのか?と問われれば、女子プロレスに興味を持ってくれる人が増えればいいなという感じです。(本業は?って感じなんですが笑)

ここでは「北斗晶」という選手に焦点を当ててみましょう。
しかも1ページだけでは伝えることができないので、複数回にわたって記載していく予定です。

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  1. 北斗晶とは
  2. 第1の時代  宇野久子
  3. 第2の時代 マリンウルフ、デンジャラスクイーン
  4. 第3の時代 引退 鬼嫁

北斗晶とは

90年代の女子プロレスブームをけん引した第一人者です。
デビューは1985年6月、引退は2002年4月と17年弱のレスラー人生だったわけですが、長期欠場をしていた時期があるので、実際のリング生活は意外に短かったのかもしれません。
レジェンドですと30年以上のレスラー歴とかあるものですから。

大きな3つの分岐点

私は北斗晶には大まかに3つの時代区分があったと考えています。

◆第1の時代 宇野久子時代

北斗がデビューした1985年の全女といえば、クラッシュギャルズ全盛の時代でした。
当時のファンは女性が中心でした。女子が女子を応援するという宝塚的な要素が大きく影響していました。
クラッシュギャルズのベビーフェースvs悪役の極悪同盟(ダンプ松本、クレーンユウ、ブル中野)が戦うという構図がありました。
私は深夜フジテレビ系で放送される中継を見ていました。観客はほぼ女性で、キャーキャー黄色い声援が飛んでいましたね。

8月には長与千種とダンプ松本の敗者髪切りマッチが行われました。なんとベビーフェースの長与が坊主にされたことで、熱狂のボルテージが上がり続けます。
そんな時代に宇野久子はデビューします。

全日本女子プロレス(以下 全女)入門当時は本名宇野久子のリングネームで活躍していました。
新人王決定トーナメントで準優勝、さらに女子プロレス大賞では新人賞を受賞するなど華々しい新人時代を送っていました。

MEMO
85年デビュー組は、みなみ鈴香、堀田由美子、西脇充子、グリズリー岩本などがいました。

名だたる選手がいる中で、宇野久子は注目されていました。
しかし、上下関係が厳しい全女の世界では、そんな宇野に敵対視したり、嫉妬する者も現れます。
このような人間関係こそが、女子プロレスの魅力なんです!
時には人間関係に悩み去っていく選手もいます。立ち向かう選手もいます。カオスが起こるのです。そしてそのカオス自体をリング上で演出させてしまう全女という会社の存在がありました。

案の定、宇野は先輩レスラーたちに睨まれてしまいます。彼女の凛とした出立が生意気に見えたのでしょう。
イジメも起きています。彼女は何度もプロレスを辞めたくなったと口述しています。
ドロドロな人間関係や、それをケアしない全女という社風の中、そして時代背景の中、ある試合で事故が起きてしまいます。
1987年4月27日、チャンピオンチームである宇野久子&堀田由美子組VS小倉由美&永堀一恵組でのWWWA世界タッグ王座試合が行われました。
その試合で、雪崩式ツームストン・パイルドライバーという信じられない技で、宇野は頸椎を折られ、長期欠場となってしまいました。とても危険な技です。下半身不随の可能性、ひどい場合は死の可能性もありました。
後に相手は、世間からバッシングされ、謝罪反省をしています。

MEMO
北斗自身は雪崩式ツームストン・パイルドライバーよりわたしのノーザンライトのほうが危険と言ってます。そんな技をアジャコングに3発決めています。

そんな大けがを負った宇野ですが、翌年に復帰をします。
「北斗晶」と改名して。
同期であるみなみ鈴香とマリンウルフというチームを結成しました。

しかし残念なことが起きます。
クラッシュギャルズの引退です。
当時全女では25歳定年制がありましたから、彼女たちは引退しなければいけなかったんです。
ダンプ、クレーン、長与と飛鳥などの引退により、女子プロレスの観客離れが起こりました。

女子プロレスの人気が下火になってしまい、団体運営に影を落とします。

◆第2の時代 マリンウルフ、デンジャラスクイーン時代

クラッシュギャルズ、極悪同盟の引退の後、全女は集客に苦労していました。
そこで新たな活路を見出すべく、男性ファンの獲得に舵を切りました。
新間寿氏が設立しグレートサスケなど所属するユニバーサルプロレスと提携を行いました。
その中で女子プロレスならではの凄みを出していき、徐々に女子プロレスファンを作っていったのです。

男子プロレスとは違う、スピード、スタミナ、華やかさ、しなやかさがあり、一気に男性ファンが増えました。
技がかなり過激で、今見るとかなり危険な角度のスープレックスがはいっていたのですが、「女子は体が柔らかいから大丈夫」というわけのわからない解説に不思議と納得し、深夜のフジテレビで見ていた覚えがあります。
ブル中野、アジャコング、バイソン木村、豊田真奈美、山田敏代など
新たなスターが育っていきました。
そのスターの中の一人が北斗晶です。

北斗は豊田真奈美、山田敏代らとの同期対決。
アジャコング、バイソン木村らジャングルジャックとの抗争。禁断のブック破り。引退騒動。
三田英津子、下田美馬とのラスカチョーラスオリエンタレス結成などを経て新しい女子プロレスを作っていきます。この辺の歴史については長くなりますので後述しましょう。

その中、なんだかんだあって、対抗戦ブームが起きます。
対抗戦についても改めて綴りましょう。

そして北斗晶の名前を一躍世間的に広げた試合が行われます。
93.04.02横浜アリーナで行われた、神取忍との一戦です。

神取はメキシコ仕込みのプロレスらしいプロレス。一方の神取は、柔道王として名を馳せており、プロレスをどこかで馬鹿にしているファイトスタイルなんですね。いわゆる水と油。
デンジャラスクイーン決定戦と名付けられた1戦は、北斗の本気のグーパンチから始まります。
グーは反則なのですが、デンジャラスクイーンにとってはお構いなしです。
その後、これまたぶちぎれた神取が、本気の関節を決めに行きます。
北斗の肩が外されてしまい、身動き取れなくなります。
その後、執拗な神取の関節技が、最初に痛めた肩に容赦なく決められていくのです。

そして有名なシーンであるテーブルへのパイルドライバーが決められてしまいます。
北斗にはパイルドライバーの因縁があるのでしょうか。
柔らかいテーブルならよかったんですが、これまたテーブルが硬かったんですよ!

とにかく、これで北斗が大流血。
女子での流血試合は珍しくは無かったものの、流血量が半端ない。
ボタボタ流れる顔面からの流血で、前が見えなかったんじゃないでしょうか。

そんな神取が北斗に対してブレーンバスターから場外に放り出すとか、プランチャーとか、ボロボロの北斗の腕に脇固めとか、高角度パワーボム、チョークスリーパーめちゃくちゃ攻めるんです。

途中ほぼリンチに見えて、その北斗を弟子の、三田と下田が涙を流して見てる。
誰が見ても、北斗がチョークスリーパーで落とされるか、ドクターストップになると思っていたんです。
北斗の流血が見てられなくて「もう頼むから、神取決めてくれ」とも思ったったものです。

なんですけど、そんな北斗がトペコン、場外ミサイルなどプロレスらしい技でなんとか反撃をしていきます。(絶対自分の方が痛いと思うんですけどね。)
解説のフミ斉藤がベストバウトだって、言うくらい白熱した試合でした。
そこでの北斗の名台詞。

「お前は、プロレスの心がない!!プロレスは、プロレスを愛する者にしかできない!!」

これは女子プロレスを見ているファン全員の心がつかまれました。

この対抗戦を機に一躍女子プロレスの第一人者となりました。

入場曲はルイス・ミゲルのOro De Ley

後に般若の仮面を被って、日本刀を持ち込んでくるんですけどね。
これがかっこよかったんですよ。

◆第3の時代 引退から 鬼嫁時代

順調に見えた北斗晶だったんですが、大きな悩みを抱えていました。
頸椎、肩、膝など故障はかなり多かったので、スポーツ選手としては当然休養なり引退を考えてもおかしくはなかったでしょう。

引退についてはいくつもの理由があるんでしょうが、全女の会社の状況も要因の一つでしょうね。
フロントとの仲が良さそうだったとは言えず、引退を切り出した際には広報部長のロッシー小川が憤慨しています。経営陣とはうまく行ってなかったことは一ファンとしても明白でした。

佐々木健介との出会いも要因の一つでしょう。
アントニオ猪木主催の北朝鮮公演で、隣の席に座ったことがきっかけで出会って1か月で1995年に結婚をします。

MEMO
北斗の健介に対する最初の印象は「つまらない人」です。

多くのプロレスラーは「自分が一番強い」という意識を持っているものです。
格闘者としては当然持つ意識だと思うんですが、意外に北斗自身は、それを明言したことは無いように思います。

名言である「あたしの試合がもっと見たいか!!」とは言いました。

ただ神取との試合においても、自分が一番強いわけではないと言っています。
理由は、全女の最高峰のベルトであるWWWA王者を取れなかった、取れていなかったことかと推測します。
ブル中野、アジャコングの壁を越えられなかったこと。
後輩である、豊田真奈美、W井上の台頭など実力派が多い時代の中、ベルトを取れなかったことに不満を感じていたのではないでしょうか。後述するブック破りとも関係しそうです。

北斗はマイクパフォーマンスが非常に優れていました。非常に場の空気を支配する能力にたけていたのです。
しかし舌鋒鋭いマイクに反して、上記の理由からか非常に気持ちが揺れ動いていることも多く、乗っているときと落ち込んでいる時の落差が結構あった。

確かにマイクパフォーマンスは一流でしたが、現在のような浮かれた陽気なマイクではなく、どことなく影のあるマイクでした。

その理由は北斗が全女という会社から一歩外れていた存在だったからではないかと考えています。経営陣との対立の中でファンと後輩から支持され、彼女の意図しない方向でデンジャラスクイーンといレッテルが貼られていった。その中で彼女は悩んでいたはずです。彼女が全女を諦めたがプロレスを諦めなかったのはなぜでしょう。

そんな事を考えると、実は繊細な心の持ち主なんだろうと思われます。

北斗は健介との結婚を機に、全女を離脱し、他の団体に参加をします。プロレスというものに諦めていたわけでは無いのです。

子供を出産し、しばらく産休するも、佐々木健介のマネージャー役としてプロレス界に復帰しました。
健介は口下手なんですがそこに北斗が毒舌で罵倒することで再度人気となりました。

佐々木健介出場のとある試合でのこと。
北斗は竹刀を携え、マネージャーとしてリングサイドに仁王立ちしています。
健介の動きがいまいち冴えない試合でした。いわゆるポカった試合です。

MEMO
佐々木健介の「ポカした」という名言があります。
健介が不利になる場面で、突然北斗がマイクを握り相手を罵倒します。
そのすきをついて、健介が必殺のノーザンライトボムを繰り出し、見事ピンフォール。
しかしその健介さえも「お前何やってんだよ!」と説教が始まる始末。

マイホームについても、健介が純和風の家を作りたかったのに対して、全くその思いが伝わらず、お城みたいな純洋風な家になってしまったエピソードなど怖い嫁の逸話があります。
このようにして鬼嫁キャラが確立していきました。

北斗の頭の冴えていたことは、その人気に乗じて、活動の場をバラエティ番組に移していったことです。
北斗が全女を辞めるころから、女子プロレスの人気は低迷していきました。
一方、怖い嫁=鬼嫁としてキャラクターを確立し、健介を罵倒したり、出演者をどついたりして茶の間で人気が出ていったのです。

これらの理由から、北斗晶は時代の流れに合わせて、ファンが望むことを取り入れる才能を持っているクレバーな人物だと考察します。

ただまだまだ北斗晶については語りつくせませんので、改めてベストバウトや、ラスカチョ、引退騒動について後述することにします。

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