飛翔天女 豊田真奈美とは

  1. 豊田真奈美とは
  2. 豊田の美しさ
  3. 豊田のテクニック
  4. 幾多の激闘と名試合
  5. 引退と美学

豊田真奈美とは

女子プロレスラーと問われれば、私は真っ先に彼女の名前を挙げるでしょう。
生まれ持っての才能、そして技術。
倒されてもゾンビにのように復活するめげない心と体。
野獣のような攻撃性と天女のような美しさを持つ雰囲気。
他にも数えきれないくらいの魅力が彼女にはありました。
もし豊田真奈美というレスラーがいなければ、私は女子プロレスをそんなに見なかったのかもしれないと思わせてくれる貴重な選手です。

豊田真奈美入場曲

豊田の美しさ

豊田は1987年にデビューをしました。
同期には、山田敏代、三田英津子、下田美馬など後にスターとなる人材が豊富な年でした。
下田とは、スイートハーツ。
三田とは、ミントシャワーズ。
山田とも(チーム名不明)名タッグチームを結成しています。

デビュー直後は、会社の方針でカラフルな水着を着て、リング上で歌を歌っていました。
ビューティーペア、クラッシュギャルズが代名詞ですが、当時の全女では余興としてリングで歌わせていました。テープとかレコードの販売に繋げていたわけですね。
しかし豊田のようにストイックに強さを求める選手にとっては、不満があったようです。
その裏返しの意識からでしょうか。カラフルな水着ではなく、全身真っ黒のタイツ姿へと変貌しました。
そして髪をロングに伸ばし、前髪ぱっつん、元々の肌の白さもあってどこか日本人形を漂わせる妖艶な出立となりました。

ブル中野、アジャコングという大柄な先輩レスラーに比べ、体格に劣っていたこの87年デビュー組。
しかしそれを補うがごとく、彼女たちは細身の体ながら、スピードある技の攻防や、尽きないスタミナのような新境地のプロレスを創っていきます。

MEMO
ちなみにこの頃、先輩の必殺技は許可なく使ってはいけないという鉄の掟がありました

体系的にもこの頃からあんこ型の選手ではなく、細くて美しい筋肉にするためのトレーニングに代わっていったのではないでしょうか。
それまでの全女の練習と言えば、うさぎ跳びなど昔のスポコン漫画のようなシゴキみたいな特訓だったらしいのですが、男子UWFの動きから格闘系の要素が入っていったのだろうと思います。

豊田のテクニック

豊田は体が柔らかく、繰り出す技の一つ一つに華がありました。
弧を描くような美しいジャーマン・スープレックス・ホールドがありました。
彼女が開発したジャパニーズオーシャンサイクロンスープレックス(日本海式竜巻原爆固め)も体の反りが素晴らしいですね。

さらにドロップキックが、変幻自在といいますか、時代の先取りをしていました。
例えばそれ以降に名付けられる、串刺しドロップキック、ジョン・ウー、ショットガンなどの要素をすでに完成させていました。

華麗な空中技も魅力です。女子でムーンサルトプレスを出す選手は数少なく、確立したのは間違いなく豊田です。そして躊躇なく場外に飛び出す、プランチャ、トップロープからのミサイルキック。
空中戦になると場の空気を常に掌握していました。
彼女の愛称「飛翔天女」はその技の多彩さと美しさから名付けられたものです。

もちろん卍固めや鎌固めなど関節技も魅力の一つ。
立ち技も空中戦もグラウンドもできる天才レスラーであったことは誰しもが認めることでしょう。

MEMO
豊田真奈美の必殺ムーブと言えば(順不同)

    • ジャパニーズオーシャンサイクロンスープレックス(日本海式竜巻原爆固め)
    • ローリングクレイドル
    • プランチャ・スイシーダ
    • ミサイルキック
    • ドロップキック
    • ムーンサルトプレス
    • 鎌固め
    • スワンダイブ式プランチャ・スイシーダ
    • フロントフルネルソン・スープレックス・ホールド
    • クイーンビーボム
他にもたくさんの技を持っていて、とにかく試合が面白いんです。

そのころの全女は技の攻防が非常に激しかったです。
男子プロレスだとフィニッシャーになるジャーマンスープレックスでさえ、全女ではつなぎ技なんですよね。
なので、一試合でもかなり多くの技の攻防が見れました。

彼女の声の高さも天才的な要素でした。「こーーのやろーー」「いっくぞーーーー!!」という雄叫びは全国の会場中に響いたはずです。
豊田が出場する試合は、会場の盛り上がりが違いました。

幾多の激闘と名試合

豊田は1987年にデビューし、2017年に引退をしました。
実に30年という長さは、女子プロレス界においてはレジェンド級です。
この30年にはたくさんの激闘と名試合がありました。
またこれについては改めて述べましょう。
ざっと思いつくだけでも、

  • アジャコングとの激闘
  • 山田敏代との髪切りマッチ、幾多の死闘
  • 団体対抗戦 豊田&山田 VS 尾崎&関西
  • 北斗晶戦、北斗とのタッグリーグザベスト優勝
  • 1995年 30人掛け
  • 引退試合 最後の藤本つかさ戦

などなどやはりここでは全てを書き出せませんので、改めて後述します。

引退試合について少し書きます。
2017年11月3日横浜大さん橋ホールでした。1000人ちょっとしか入れない会場なのですが、もちろんチケットは完売。
(もちろん私は行ってます)
もっと広い会場でできたのではないかと誰もが思いましたが、「この会場が綺麗だから」という理由で選ばれたようです。
形式は1995年の30人掛けを超える50人掛けという史上初の試合形式。

第1試合から正危軍(尾崎魔弓&桜花由美&雪妃魔矢&Alex Lee with ポリス)というとんでもないカードでした。
1試合につき1分という制限がありましたが内心、こんな試合50試合も大丈夫かよと思いました。
結末言うと、このテンションを保ったまま50試合行わられたんですよ!
アイスリボンの選手が主要でしたが、この日ばかりは団体の垣根を越えてレスラー達が集まりましたね。
vsテキーラ沙弥
vsらぶりーぶっちゃーず
vsさくらえみ
vs山下りな
vs里村明衣子
vs倉垣翼
vsAKINO
vs世羅りさ

MEMO
世羅はアイスの選手をみんなまとめてリングにあげます。

vsドレイク森松
vsチェリー
vs希月あおい
vs宮崎有妃
vsボリショイキッド
vs豊田真GAMI&旧姓・豊田さく美

MEMO
GAMIと広田さくらには笑わせてもらいました。豊田のコスプレです。
vs米山香織
vs加藤園子
vsLeon
vs山縣優
vs朱崇花
vs小林香萌
vs志田光 with 朱里
vs松本浩代
vs浜田文子
vs永島千佳世

vs日高郁人
vsパピヨン朱美
vsがばいじいちゃん

MEMO
じいちゃんの入場が遅すぎてリングアウト
vs松山勘十郎
vsキッド
vsアントニオ小猪木
vs男盛
vs木高イサミ
vs伊東竜二
MEMO
有刺鉄線ボードを持ち込む凶行!

vsカルロス天野
with 山田敏代vs下田美馬 with三田英津子

MEMO
87年デビュー組が最後に揃ったわけです。感動ですね。
vs山崎五紀
vsブル中野
MEMO
ブル様のヌンチャクが見れたんですよ!
vsジャガー横田
vs吉田万里子
vs高橋奈七永 with南月たいよう
vsKAORU
vs伊藤薫
vs渡辺智子
vs井上貴子
vs堀田祐美子
vs井上京子
MEMO
今までの因縁や事情を知ると涙なしでは見れませんでした!

引退の最後は誰がつとめるのか、ファンにとって話題でした。
その議論は3月から9月までファンの妄想は広がっていました。
というのは、豊田が二世として候補に挙げていたのが、藤本つかさとつくしの二人の選手がいたからです。
以前の試合の際に豊田から「私をリングに沈めてくれ」と言われていたのです。
しかし引退の2か月前である、9月につくしが暴力行為を行い、逮捕され謹慎処分となってしまったのです。会見が行われ、社会的な事件となってしまいました。
その結果、引退試合は藤本一人に託されました。
JOCSという技も伝授することになりました。
引退発表後、藤本はこれを意識しており、豊田と試合を行う際に、何度もJOCSを仕掛けようとしますが、重くて持ち上げることができません。
豊田が169cm約80kgに対し藤本は158cm約50kgしかありませんので、肩に担ぐことは物理的に難しかったでしょう。

二人は何を思い、試合に臨んだのでしょう。
最後のゴングが鳴り、豊田真奈美最後の試合が始まりました。

しかし結果は7分06秒 JOCSで豊田が藤本を沈め、勝ってしまったのです。

「こんなんじゃ納得できない」といわんばかりの豊田は、レフリーに再試合を要求します。

その結果、3分34秒 ジャパニーズオーシャン・クインビーボムでまたしても豊田が藤本に勝ってしまいました。
藤本つかさが泣いていたのは明らかでした。
やはり持ち上げることができない物理的な重さ、豊田をリングに沈めなくてはいけないという心理的圧力。そしてつくしの問題に対する責任。
様々な心の動きの中、ようやくコーナーを使って藤本が豊田を肩車で持ち上げたのです。
そして決して綺麗ではありませんが、後ろに倒れブリッジをします。
このようにして再々試合後の5分52秒 JOCS 藤本つかさが勝利しました。
豊田も藤本も観客も泣いていました。私も泣きました。

つたない文章で雰囲気が伝えられませんが、豊田の試合にはこのようなドラマがたくさんあったのです。

引退と美学

彼女は孤高な存在すぎて、ローンウルフ的な感じがありました。
唯一の友はパチンコだったようなことを週プロで言っていた気が・・・
しかし全女大量離脱の際にも、いったん彼女は全女にとどまる決断をしたのは、今まで培ってきた全女や後輩のためを思ってのことだったのでしょう。
ですから決して彼女は自己中ではありません。
大量離脱の時に豊田まで去っていたら、間違いなく全女の倒産は早まっていたはずです。
そこに振り返れば山田との友情、堀田由美子との縁、後輩との絆を感じていたはずです。

フリーに転身してからは、豊田は新たな世界に入ります。
というか、時代がプロレス人気低迷期→氷河期となり、新たに創設されたGAEA、アルシオン、NEO、OZアカデミー、我闘雲舞、スターダムいずれにしてもかつてのような集客力は戻ってきませんでした。
格闘と言えばバーリトゥード、K1、PRIDEが主流となりプロレスという存在が漂流しているような時代でした。
プロレス業界でも暗い話題が目立ち、ファンの教科書的存在であった週間ゴングが休刊。週刊プロレスでさえも、過去の栄光を振り返るような記事ばかりになってしまいました。
豊田も面白プロレス、男子とのミクスドマッチなどを通じてあるべき姿を暗中模索していたのではないでしょうか。
悪いことに、豊田は過去の負傷箇所が悪化していました。
局所麻酔や手術を繰り返しリングになんとかあがる状況も続いていました。

その中、2010年近辺にあるきっかけが起こります。
後に飛翔天女二世と言われる藤本つかさとの出会いです。
既に豊田は、アジャ、下田、貴子などと同様レジェンドとして崇められた存在ではありました。
豊田は後にほとんど肩を上にあげることができませんでしたので、JOCSを繰り出すことはかなり困難になっていました。
代わりに北斗晶のノーザンライトボムの変形であるクイーンビーボムをフィニッシャーとしています。
その際、豊田は年の差20歳、あるいは30歳の子供たちを相手にリングに上がっていました。
悪化する古傷を抱えながら、豊田は何を考えていたのでしょうか。
おそらく、自分たちのやってきたプロレスを次の世代に伝えたいと考えていたはずです。

豊田はアイスリボンを中心に、後輩たちに教えるようなプロレスをしていきました。
そして前述したように引退試合を藤本つかさに託します。
必殺技であるJOCSを藤本つかさに、クイーンビーボムを高橋奈七永に伝授しました。

豊田の思いは見事に伝わり、世羅、つくし、くるみなど多くの女子レスラーが豊田に感謝をしています。
前述のように引退興行にはたくさんのレスラー、関係者が集まりました。

2016年くらいから、2017年11月に行われた引退試合まで、豊田は昔を懐かしむようにリングに上がっています。
「やっぱりお前とは向かい合ったほうが良い」とアジャに言わしめたタッグ戦。

堀田由美子主宰の試合で赤いベルトを懐かしむ選手たち。

豊田真奈美と言えばハーレーダビッドソンです。ハーレーダビッドソンと言えば豊田真奈美です。

私はそんな彼女とエアハーレーツーリングしただけで感無量でした。

やはり、女子プロレスラーと問われれば、私は真っ先に彼女の名前を挙げるでしょう。

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